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都政改革委員インタビューvol.1 入江のぶこさん(港区)

 

「息子を育てあげる」人生の使命を終え、小池さんのパワーに魅せられた

 

―入江さんはどういった経緯で政治の世界に足を踏み入れられたのでしょうか?

 

22年前のことになるんですけれども、フジテレビのカイロ支局長だった私の夫が、ルワンダ難民を取材するためにチャーターした小型飛行機が墜落し、亡くなったんですね。そのとき長男は6歳、次男は生後11ヶ月で、深い悲しみに暮れながら、これからどうやって生きて行こうかと不安に思ったのを覚えています。

 

それから、息子を連れて日本に帰国したんですけれども、「何があっても2人の子どもを育てあげよう」と決意して、フルタイムで働きながら、子育てをしてきました。たくさんの方に助けていただいて、なんとか無事に2人の子どもを社会に送り出したのが、昨年のこと。「自分の人生でやり遂げるべきことは終わった」と思っていた矢先、都知事選挙で小池さんを拝見して、圧倒的なパワーとオーラに魅せられたんですね。

 

 

大学生のころから、ニュースで天気予報を担当していましたし、報道記者の妻でしたから、もともと国内外の政治について興味は持っていました。小池都知事の政策を伺うにつれて、私も「自分の経験を活かして、知事を支えたい!」と思うようになって、希望の塾に参加するようになりました。

 

 

―日本を離れて暮らしているなか、ご主人を突然の事故で亡くされ、お子さんを連れて帰国されて、幼い息子さんを育てていくのは本当に大変なことだったと思うのですが、入江さんが頑張ってこられたのはどうしてでしょうか?

 

「前へ前へ」という言葉がありまして、亡くなった夫がいつも言っていた言葉なんですけれども、繰り返し自分に言い聞かせてきました。思いもかけない困難に見舞われてしまうことは、だれにとっても起こりうるわけです。けれど、何が起こったとしても、人それぞれだれかに必要とされているわけですし、私の場合は子どもを育てなければいけない使命があったんですね。ですから、たとえ泣くことがあっても、息子2人の前でだけは、どんなときも明るく笑顔でいようと決めて、実践してまいりました。

 

 

本当に好きなことをやらせてあげる教育を

 

―すでに入江さんについて出てきている情報として、お子さん2人が東大に入られたことが話題になっているかと思うのですが、子育ての秘訣は何でしょうか?

 

単純に、好きなことを伸ばしてあげるということですね。私自身は幼稚園から大学まで成城学園の一環教育を受けて、のびのびと育てられてきました。私が気をつけていたのは、子どもを一生懸命観察して、その子が好きなことをしっかりやらせてあげるということですね。足が速いお子さんもいるし、歌を歌うのが好きなお子さんもいる。たまたま私の息子達は、何をするよりも本を読んだり勉強をしたりするのが好きな子どもだったというだけなんです。子どもが夢中でやっていることって、その子の才能や特性にかかわってきますから、その才能を伸ばすような方向性をさし示してあげることが必要かなと思っています。

 

1994年10月、日本からエジプトに戻る途中のシンガポールにて。この2ヶ月後に夫、入江敏彦氏は亡くなった。

 

 

 

子どもの才能が見いだされ、伸ばされる社会に

 

―お聞きしていると、心が明るくなってくるような教育論ですね。

 

日本の教育制度はしっかり整備されていますけれども、学校のお勉強だけが全てではないと思っています。パソコンでCGを作れちゃう子がいたり、ちょっと見ただけでスマホを自在に扱えちゃう子がいたり、今の時代、いろんな可能性があるわけじゃないですか。成績がいいとか悪いとか関係なく、そういった個性が生かされていけばいいと思いますね。

 

仮に働くママやパパが忙しくても、たとえば、そばにいるだれかが「お金について知ってる? 『金融』って言葉知ってる? 日本は円だけど、アメリカはドルだし、いろんな貨幣があるんだよ」って教えてあげるだけでも、子どもにとっては才能を開花させるきっかけになるかもしれない。日本は資源国ではないので、これからの国の力になるのは人的リソースなんです。子どもの才能が見いだされ、伸ばされる社会にしていくために、幼児教育の充実ですとか、小学校・中学・高校のカリキュラムのフレキシブル化ですとか、さまざまなことを実施していきたいですね。

 

 

2000年4月、学習院初等科にて、次男の入学式。

 

 

 

プロフィール

入江伸子(いりえ・のぶこ)1962年5月30日、東京都新宿区生まれ。55歳。大学在学中から「フジテレビFNNスピーク」でお天気おねえさんを務める。成城大学文芸学部英文学科を卒業後、フジテレビ報道記者の入江敏彦と結婚。1994年12月、ルワンダ難民取材のためチャーターした飛行機がケニアのナイロビで墜落し、夫、入江敏彦フジテレビカイロ支局長が32歳で死亡。6歳の長男と生後11ヶ月の次男を連れて日本に帰国した。帰国後フジテレビ契約社員として働いたのち、フジテレビに中途入社。子育てや子どもに関するコンテンツの企画やプロデュースに関わり、女性管理職としてマネジメントも行う。現在勤続20年で休職中。2人の息子はともに東京大学を卒業し、社会で活躍している。

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