都政改革委員インタビューvol.2 ひぐちたかあきさん(千代田区)
小池事務所で学生インターン、政治を志し台湾へ
―ひぐちさんはどういった経緯で今回出馬を決意されたのでしょうか?
私の政治の原点は、大学時代、当時衆議院議員だった小池都知事の地元の事務所(兵庫にある小池百合子事務所)でさせていただいたインターンシップです。かばん持ちもやりましたし、辻立ちでのぼりを持ったり、空港に帰って来た時に、車で迎えに行ったりもしました。2005年の郵政選挙もお手伝いさせていただきましたし、4年間、じっくりと政治の現場を学ばせていただきました。
その後、電通国際情報サービスというIT会社に就職し、営業の仕事をしていたんですけれども、7年勤めたあとに、「一度きりの人生、生涯の仕事として、社会や公に奉仕していきたい!」と思ったんですね。そこで、研鑽を積むために留学を考えまして、歴史的にも経済的にも日本と大きな関わりがある台湾を留学先に選びました。台湾について学ぶことは必然的に中国について学ぶことにもなりますし、語学留学ではなく、純粋な留学として台湾に行く人が少ないというのも、選んだ理由の一つですね。小池さんが19歳でエジプトに留学されて、ユニークな経歴でいらっしゃるので、影響を受けた部分もあります。
―昨年の都知事戦では小池都知事の応援のため、留学先の台湾から急きょ帰国されたのだとか。
そうなんです。去年の夏、一か月ほど張りつきでお手伝いさせていただきました。大学時代お世話になった方でしたから、「大変な時だからこそ支えなければ」という気持ちでした。
小池都知事から政治的・人間的にも影響をうけてきた
―ひぐちさんの考え方や生き方に関して、小池さんから影響を受けられた部分も大きいのでは。
そうですね。私は、もうのべ15、6年小池さんをそばで拝見しているわけですけれども、小池さんは「クリーンな政治活動をしてこそ、しがらみのない改革ができる」「日本の古い政治体質を変えなければならない」とずっと言い続けられていて、まったくブレがないというか、一貫されているんですね。国会議員時代は、議員立法も盛んになさっていますし、どのような抵抗があろうと、「変えるべきは勇気をもって変える」という凛とした姿勢もおありだと思います。そのような政治家としての姿勢に、大きな影響を受けてきたのは間違いありません。
―今回の出馬にあたって、ご家族の反応はどうでしたか?
父とはじっくり話しあいまして、「一度きりの人生なのだから、しっかりやってきなさい」と、背中を押してもらいました。妻とも話しあって、ついてきてくれています。2歳の娘の子育てをしているので、やっていけるんだろうかと不安に思わせてしまう部分もあるかもしれませんね。先日、娘が夜中に下痢をして、あわてて救急病院に連れて行ったんですけれども、子どもを育てるパパとしての実感も、政策に活かしていけたらと思いますね。
休みの日と子どもと川べりで。
千代田区のみなさんと「深く・長い」おつきあいをしていきたい
―ひぐちさんは営業のお仕事を7年間されていますが、そういった営業でのご経験は、政治の世界でどのように活かされるとお考えでしょうか?
営業職として、製造業のお客さまを担当させていただたんですけれども、製造業の方は朝が早く、情熱的でパワーのある方がたくさんいらっしゃるんですね。ですから、私の営業スタイルもそういったお客さまに合わせて、必死になって、お客さまのもとへ通っていました。
営業活動をしていくなかで「どうすればお客さまと信頼関係を築いていくことができるか」というのは常に考えていましたね。自省も込めてですが、偉そうにカッコつけたりしてはダメで、素直に謙虚に、裸で飛びこんでいかなきゃいけないんです。営業をやってみて気づいたことなんですけれども、私は「短期で売り切り」みたいな営業スタイルは肌にあわないですね。先日も、神田祭で住民のみなさんとお神輿をかつがせていただき、楽しいひとときを過ごさせていただきました。私は千代田区のみなさんと、これから「深く・長く・温かい」おつきあいをしていけたらいいなと思っています。千代田のみなさんにどうやったら寄りそえるかを考え、泥臭く素直にがんばります。
神田祭にて大神輿をかつぐ。「地域のみなさんの計らいで、幸先のいい花棒(注・かつぎ棒のいちばん先の端)をかつがせていただきました」
プロフィール
ひぐちたかあき(ひぐち・たかあき)1982年8月9日。34歳。京都大学法学部を卒業後、電通国際情報サービスにて営業職として製造業のお客さまを7年担当。2014年に台湾大学大学院に留学し、両岸関係(中国と台湾の政治経済関係)などを学ぶ。1児の父。