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都政改革委員インタビューvol.6 白戸太朗さん(江東区)

 

 

スポーツに生かされてきたからこそ、スポーツに恩返しがしたい

 

―白戸さんはトライアスロンの現役プロアスリートということで、現在「スポーツナビゲーター」という肩書でスポーツ産業に多角的に携わっていらっしゃいますけれども、今回どういったきっかけで政治の世界にチャレンジしようと思われたのでしょうか?

 

僕自身はずっとスポーツをやっておりまして、スポーツで世界中をまわる中で、日本の常識と世界の常識の違いにギャップを感じることが多かったんです。日本人って規則のための規則に縛られてしまうところがあって、海外に行くと「そんなことでいいんだ」と思うようなこともたくさんあって、もっと気楽にハッピーに生きていいんじゃないかと。そういったことをスポーツを通して伝えたいということで、ここ15年くらい「スポーツナビゲーター」という肩書で活動してきました。そして今回、オリンピック・パラリンピックが東京にやってくるというこのときに、「このままじゃいけないんじゃないか」という意識が強くなっていったんです。

 

 

オリンピックというのは、世界中から第一級のプロアスリートたちが集まってくるすごいイベントです。にもわらず、今ってオリンピックに対して、「お金がかかって残念」みたいな、ネガティブな雰囲気になってしまっているじゃないですか。僕はオリンピックの報道もやっていましたので、オリンピックは人の人生を変えうるというのを実感として知っています。だからこそ今のこの状態はすごく残念。

 

ホストシティであるにもかかわらず、今の都政にスポーツに明るい人間がいないのも問題だと思っています。これまで僕はスポーツで人生を切り開いてきたつもりですから、今度はスポーツのために恩返しがしたい。スポーツには人を幸せにする力がありますから、スポーツの力で東京を幸せにしたい!そう思って、立候補いたしました。

 

 

オリンピックは子ども・未来に対する投資

 

―スポーツに詳しい白戸さんだからこそ、都政でできることというのは、具体的にどのようなことでしょうか?

 

今、施設の費用ですとか、どこで何をするかだけが問題になっていますけれども、たとえば地元の子どもがオリンピックの選手たちと触れあえることができたら、子どもの人生が変わると思うんですよね。日本にいると、世界のリアルに触れる場が持てることって滅多にありませんけれども、今回は、世界が来てくれるんですよ。オリンピックは子どもの投資、未来への投資でもありますから、そのような絶好の機会をどう活かすか、具体的に考えていけるのが私の強みだと思っております。

 

 

2016年夏、子どもと琵琶湖一周サイクリング。

 

 

パラリンピックはダイバーシティ東京を加速させる

 

―パラリンピックについてはどうでしょうか?

 

パラリンピックも非常に重要ですね。パラリンピックって、パラリンピックだけが問題じゃないんですよ。パラリンピックは、「障害があってもなくてもみんな一緒なんだよね」ということを子ども・大人にかかわらず、みんなが知っていくまたとない機会ですし、今回のパラリンピックにむけて、人の心の整備をしていくことが、東京のダイバーシティ化の一つの礎になるんです。ソフト面の教育って時間がかかりますから、これから3年の中で、学校教育としても社会教育としてもしっかりやっていかないといけないですね。

 

もちろん、バリアフリーの設備普及というハード面についても、どんどんやっていかないといけないですね。障害者に優しい街は、高齢者にも優しい街ですから、パラリンピックはバリアフリー促進のまたとない機会なんです。

 

―白戸さんと江東区とのかかわりを教えてください。

 

江東区のわずか数百メートル先、月島にもう20年弱くらい住んでいます。江東区って、私が住みはじめたときには、石川島播磨重工業(IHT)の工場がたくさん並んでいたんですけれども、それが再開発によって、全部マンションに代わっていて……っていう、街の移り変わりをずっと見てきました。ですから、今の豊洲の問題も含めて、歩いて行ける範囲内の問題というか、自分ごととして何とかしなければという意識が強いですね。やっぱり自分の街には素敵であって欲しいですから。

 

 

豊洲新新市場予定地付近を朝ランニング。「この辺りはいつものコースです」

 

 

プロフィール

白戸太朗(しらと・たろう)1966年11月1日、京都府東山区生まれ。50歳。中央大学商学部在学中にトライアスロンをはじめ、日本体育大学に学士入学。1990年からプロトライアスリートとして世界を転戦しながら、日本体育大学大学院修士課程を修了。1990年代後半からはスポーツキャスターとしての活動もはじめる。現在もトライアスロン選手として大会に出場する一方で、2008年「株式会社アスロニア」を設立。トライアスロンの認知拡大、普及のための活動を行う一方で、現在もトライアスロン選手として大会に出場。スポーツをする、教える、伝える、機会を作るという活動を行うスポーツナビゲーター。3児の父。

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