都政改革委員インタビューvol.9 龍円あいりさん(渋谷区)
日本とアメリカの落差に唖然 スペシャルニーズがある人のサポート体制を整えたい
―龍円さんが政治の世界に足を踏み入れられたきっかけを教えてください。
一番のきっかけは息子にダウン症があったということですね。私は2013年にアメリカのカリフォルニアで出産したのですが、異国の土地で、学生で、子育てできるのかなと不安な気持ちになりました。でも、病院で教えられたカリフォルニア州の担当者の番号に電話をすると、翌月からさっそく療育(注・発達支援が必要な子どもに対する教育)がはじまって、専門家のサポートが受けられて、安心して子育てを楽しむことができたんです。
アメリカではスペシャルニーズがある人たちへのケアが、法律によって手厚く整備されていて、どこに住んでいても同じサービスを受けることができるんですね。その後、息子が二歳の時に日本に帰って来たんですけれども、アメリカとの落差にびっくり。行政によるサポート体制が全然整っていなかったんです。
そこで、アメリカで経験したことが少しでも日本でダウン症のある子を育てる両親の役に立てばいいなと思って、ダウン症について情報発信をするようになりました。「DS(Dawn Syndromeの略) Smile Class」という、ダウン症があるお子さんの療育情報などについて共有したり、親御さん同士が仲間と繋がれたりするような場を作ったんです。民間の団体で、ですばらしいサービスやサポートに取り組んでいるところは日本にもたくさんありますけれども、それを下支えする行政サポートはまだ十分に整っていないのが現状です。そこで、子ども世代たちのための社会を変えていきたいと思って、政治の道に進むことを決意しました。
ダイバーシティ先進区である大好きな街・渋谷
―龍円さんがやっていこうとされているスペシャルニーズがある人へのサポートって、まさにダイバーシティ先進区である渋谷区とつながるテーマですね。
そうなんです!今回、渋谷区以外で活動することは考えられませんでした。私はもともと、笹塚にある富士見ケ丘高校に通っておりまして、渋谷区が大好きというのもあるのですが、一番大きいのは、渋谷区の基本構想「ちがいをちからに変える街」に共感しているということですね。私は、「ちがい」は魅力だと思っています。「ちがい」を受け入れるだけではなく、生かし、伸ばしていくことで、大きな力が生まれてくると思うんです。
2016年11月には「バディウォーク」という、ダウン症がある人たちと一緒に歩くというパレードも渋谷区の後援で開催し、長谷部健区長にも来ていただきました。日本ではじめて公道をパレードしたということで、数多くのメディアに取り上げていただいたんですよ。渋谷区がモデルケースとして、いち早くさまざまなことを実現していって、渋谷から東京に、東京から全国に発信していけると信じています。
2016年、「バディウォーク」にて。「沿道の方達と笑顔をかわし、素敵な交流ができました」
政治の道に進むことを応援してくれた父
―今回の決意について、ご家族の反応はどうでしたか?
私が政治の道に進むことについて、政治学者である父は喜んでくれています。父は超福祉国家であるスウェーデンで教鞭をとっていたんですけれども、子どものころから食卓で福祉について話してくれていて、幼心に漠然と、「どうしたら社会がよくなっていくのかな」と考えていたんですね。
それから、父の父親、つまり私の祖父は、刑務所での服役を終えて出所してきた方たちの、職業訓練や就労支援をする活動をしておりまして、父はそういう祖父の姿を見て育っていますから、祖父の姿と私の姿がかぶって見えることもあるみたいです。
わたしたちの強みは、圧倒的な「現場力」
―ズバリ、これからの野望を聞かせてください。
どこまで言っていいんだろう(笑)私が今考えているのは、都民ファーストの会が政策集団になっていきたいということですね。今までの都議会は都知事が提案することに対して「いい」「悪い」を判断するだけでしたけれども、都民ファーストの会は条例を作りあげていく東京初の団体になっていけばいいなと思っております。
政治って、政治のための政治ではなくて、世の中をよくしていくための政治であるべきだと思うんです。都民ファーストの会には、世の中をよくしたいという気持ちをもって、各分野の第一級のスペシャリストが集まってきているんですよ。視察で一日現場を回っただけで分かるようなものとはまったく違う、圧倒的な現場力があるんです。一人一人の英知を集めて、世の中をよくしていく。都民ファーストの会ならそれができると思っています。今私、すごくメラメラしています(笑)
アメリカ・カリフォルニア州でのグループ療育での一コマ。「他の両親たちとのつながることができ、楽しい子育てでした」
プロフィール
龍円あいり(りゅうえん・あいり)1977年3月31日、スウェーデン・ウプサラ市生まれ。法政大学法学部を卒業後、テレビ朝日に入社し、1999年から2006年までアナウンサー、2006年から2011年まで報道局社会部記者を務め、警視庁、北朝鮮拉致問題、都庁などを担当した。1児の母。