都政改革委員インタビューvol.11 平慶翔さん (板橋区)
働くなかで芽生えた「人の役に立ちたい」気持ち
―平さんは芸能活動をされていたとのことですが、芸能界を引退後、3年6か月間、議員秘書を務められていますね。どういった経緯で政治に携わるようになったのでしょうか?
中学2年生のころに芸能活動を開始したんですけれども、そのときに自分と同年代の15歳くらいの子たちが、生活の糧にするためにエキストラのアルバイトをするのを何度か目にしたんですね。経済的に恵まれないために働かないといけなかったり、進学をあきらめないといけなかったり……。もちろんそのときは政治の道に進むなんて夢にも思っていなかったのですが、やりきれない気持ちが残りました。
それから大学を卒業したあとに就職しまして、営業の仕事をやったんですけれども、そこでも生活に困窮する人をたくさん見てきたんです。そういった人たちを見ているうちに、「自分は比較的恵まれていて、これまで好きなことをやらせてもらってきたけれども、こんな自分だからこそ人の役に立てることはないだろうか」と思ったんですね。そういった気持ちが芽生えていく中で、下村博文氏の議員秘書に応募をしまして、政治の道に進みました。
大家族の中で培われていった「人を気遣う」力
―平さんといえば、大家族で知られていると思うんですけれども、ご家族愛がすごいのだとか。どういったご家族なんでしょうか?
そうですね。僕の家は8人家族で、6人兄弟の4番目なんですけれども、別荘をいくつか所有しておりまして、家族みんなで別荘で過ごすことも多いですね。別荘では、プールで泳ぐですとか、スイカ割りですとか、バーベキューですとか、じゃんけん大会ですとか……。それからカラオケ大会をしたり、弟が空手をしていたので、空手着に着替えて、構えを披露したりして、家族で仲良く過ごしますね。
食事は必ずみんなで食べるようになっているんですけれども、でっかいテーブルに食事がどーんと置いてあって、みんなでその日の出来事など会話をしながら食べています。そういった光景は私にとって宝物ですね。
2016年、子どもの幼稚園の運動会にて。
―他の候補者の方からの前情報で、平さんは懇親会などの場でものすごく気遣いをされるとの情報をいただいているのですが、平さんのそういった部分も大家族の中で培われていったのでしょうか?
ありがとうございます。父が会社をやっていましたので、父の会社の忘年会や、新年会などで、飲み物が行き届いていなかったら走って持って行ったり、食べ物がなかったらスタッフさんにお願いしたりというのを、小学生のときから行っていました。秘書になってからもそういった経験は活かされたかと思います。
信念をつらぬく姿勢は小池さんから学んだ 正々堂々と戦うだけ
―最後に、ちょっとお聞きしづらい話題なんですけれども、今回出馬される板橋区は、平さんが秘書を務められていた下村博文氏のお膝元で、同じく下村氏の秘書であった河野雄紀氏・松田康将氏との対決になりますね。そのことに対して自民党サイドからは「裏切り」といったネガティブな見方もできるかと思うのですが……。
秘書をさせていただいていたとき、都知事選は2回あったんですけれども、前回の都知事選の時、3、40年自民党を支持されていた方から「なんで小池さんを支持しないんだ」というお叱りの声をいただくことも多かったんです。私は秘書として、表には出てこない政治の裏の部分もたくさん見ていたので、「有権者不在だな」と思うことも多くて。小池さんのしがらみにとらわれない姿勢ですとか、信念をつらぬく姿勢ですとかに、とても感銘を受けたんです。
もちろん、私が板橋区から出馬することで、自民党に対して義理を欠いてしまった部分があるのは確かなんですけれども、一政治家として、自分の思いがあってのこと。ひきずり降ろそうとするようなネガティブキャンペーンをはられてしまうこともあるんですけれども、もちろん、まったくの事実無根ですし、「ひどいな」という気持ちもあります。
でも、障害があってもまっすぐに自分をつらぬいていく姿勢は、私が小池さんから学んだこと。ですから、胸をはって正々堂々と戦っていくつもりです。秘書としてやってきた板橋区は、私としても感謝でいっぱいの場所です。そんな板橋区に、仕事で返していけたらな、と思っています。
2015年、秘書時代。板橋区内の少年野球の開会式にて。
プロフィール
平慶翔(たいら・けいしょう)1987年8月6日、兵庫県神戸市生まれ。29歳。中学2年生の時に上京し、一人暮らしをしながら芸能活動を開始。テレビドラマ「3年B組金八先生」等に出演した。大学進学とともに芸能活動を辞め、約2年間の会社勤務を経て、東京都板橋区選出の下村博文衆議院議員の私設秘書、公設第一秘書、公設第一秘書を勤めた。1児の父。