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都政改革委員インタビューvol.16 増田一郎さん(立川市)

 

 

 

29年間の金融マン生活、バブルの「負い目」から世の中に貢献したいと思った

 

―増田さんが政治の世界に足を踏み入れられたきっかけを教えてください。

 

私は29年間ずっと金融の世界で生きてきたんですけれども、昭和最後の年に入行した金融マンとして、90年代の最初の不動産バブル、97年のアジア金融危機、2008年のリーマンショックと、3回大きな危機を経験しているんですね。特に不動産バブルの際には、金融機関を救済するために、何兆円というお金が公的資金からつぎこまれるのを目の当たりにしていましたから、当時、若手の一行員としてはどうしようもなかったんですけれども、私たちの世代の金融マンって、心のどこかで負い目に思っている部分があると思うんですよね。

 

これまで30年近くこの業界でやってきましたけれども、金融マンは現役寿命が短いので、私は今52歳なので、まわりもそろそろ引退も考えるような年齢になってきているんですね。そんな中で、自分の金融マンとしての人生を振り返ってみたとき、金融マンとしての経験とスキルを活かして、世の中に貢献していきたいと考えたんです。

 

 

 

 

もう一度東京をアジアの金融センターに

 

―増田さんのキャリアは、都政の中でどういう風に役立っていくとお考えでしょうか?

 

小池都知事のお話の中で、ストレートに共感を覚えたのは、「透明度をあげる」という言葉ですね。ずっと企業金融に携わってきた中で、一番大事だなと思うのは、企業はその時々の状況を、株主や銀行や取引先に正直に開示しなきゃいけないということなんです。長くある組織が信用を得て、存続していくためには、いいことも悪いことも含めて出していかなければいけない。それは今まさに都議会が直面していることでもあるわけです。

 

ぜひ実現させたいと思っているのは、もう一度東京をアジアの国際金融市場の中心に復活させたいということですね。リーマンショックの際には、私がそのとき勤めていたアメリカの投資銀行も事実上倒産していますし、いろんな欧米の投資銀行が日本からひき潮のようにひいていくのを見ているんですね。今はシンガポール、香港、上海のほうが、東京よりも金融都市としてにぎわっていますけれども、お金があるところって、人も情報も集まってきますから、あのとき出て行ってしまった海外の金融機関にもう一度日本に戻ってきてもらう必要があるかと思います。

 

融資したインドネシアの炭鉱、世界最大級のダンプの前にて。

 

 

東京はいろいろな面で水準が高い都市ではあるんですけれども、外資系企業が何か事業をはじめましょうというときに、手続きが非常に煩雑なんです。たとえば、事業免許を申請しようと思っても、書類が全部日本語で、全然電子化されておらず、内容証明郵便で送らなければいけない。ですから、行政手続き一つとっても、もう少し外国人フレンドリーな手続きに変えていくですとか、改善する余地は多いと感じますね。

 

 

「ゴルフはあんなに手堅いのに、人生は大胆だな」

 

―増田さんは立川市とどういった関わりがあるのでしょうか?

 

大学が早稲田なので、中央線沿線にはずっとなじみがありまして、立川には友人もいてよく来ておりました。大学の4年間、サークルでテニスをやっておりましたので、立川ルーデンステニスプラザには、よく大会で来ていたんですよ。もう30年前の話になりますけれども、大会の帰りに立川駅前で飲んでいた思い出も懐かしいですね。今の立川市は、そのときから比べたらずいぶんきれいになったと思います。

 

 

―増田さんのお人柄についてもお聞かせいただければと思います。周囲からは、増田さんはどのような性格だと言われているのでしょうか?

 

そうですね……29年前に一緒に入行した、もともとの銀行の同期からは「ゴルフはあんなに手堅いのに、人生は大胆だな」と言われています。いろいろなエピソードがあるんですけれども(笑)入行して最初の勤務地が名古屋だったんですけれども、名古屋に本社のある、とある大手自動車メーカーの受付に美人の女性がおりまして、一目ぼれをしてしまいまして……それが今の妻なんです。政治についても、猛アタックで頑張ってまいりたいと思います。

 

 

2012年、東京マラソンにて。「抽選に当たったのをきかっけにマラソンをはじめました。この年以来、抽選には外れ続けています」

 

 

 

プロフィール

 

増田一郎(ますだ・いちろう)1964年8月16日、埼玉県行田市生まれ。52歳。早稲田大学法学部を卒業後、テンプル大学経営大学院修士課程修了。ストラクチャード・ファイナンスを専門として、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)、ベアー・スターンズ証券、新生銀行などを経て、現在エボリューション・ジャパン証券株式会社勤務。3児の父。

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